人は生まれながらに
誰もが無償の愛を持って生まれてきました
そして
生まれながらに、人には上も下もありません
「それぞれに与えられた命がある」だけです
仏法には、「帰命」という言葉があります
なのに、誰にでも憎しみや怒り、恐怖や苦しみ
悲しみが襲ってきます
どうしてでしょうか?
「帰命」…
命に目覚めるという事
関係性の中で感じた感情は、「命に目覚める」ために起こる事象のように思います
今抱えている問題のすべての事柄は、
生まれてきたと言う尊い命の尊厳を、見出すための階段の一段のように思います
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風邪をひいた…
転んで怪我をした…
人から嫌なことを言われて気持ちが落ち込んだ…
人と関わるのが苦痛…
辛い別れをした…
苦しみが、
お互いに与えられた命を尊厳し感謝に変わるとき
生を受けた意味が大きく変わっていきます
一つ一つその経験がなかったら
目が覚めるということは経験できません
そう考えると何一つ
無駄なことはなく
すべてが私たちの学びに変わっていきます
全ての命は、無量の寿(いのち)です
苦しみが学びになると覚悟をしたら
無量の寿(いのち)の重さに気づくことが出来ると思います
![](https://xn--o9jta4b301vecp.com/wp-content/uploads/2023/02/elijah-hiett-5tutkWiAW5E-unsplash-1024x669.jpg)
命は、決して私の命ではありません
私のものなど一つとしてありません
思うよにならないからこそ自分と向き合うことで、
自分の生き方を呼び覚まし、
心の充足感が満たされていくその過程の中で、
与えられた命が育てられていくのでしょう
今ある幸せに気付けますように