人は生まれながらに
誰もが無償の愛を持って生まれてきました
そして
生まれながらに、人には上も下もありません
「それぞれに与えられた命がある」だけです
仏法には、「帰命」という言葉があります
なのに、誰にでも憎しみや怒り、恐怖や苦しみ
悲しみが襲ってきます
どうしてでしょうか?
「帰命」…
命に目覚めるという事
関係性の中で感じた感情は、「命に目覚める」ために起こる事象のように思います
今抱えている問題のすべての事柄は、
生まれてきたと言う尊い命の尊厳を、見出すための階段の一段のように思います
風邪をひいた…
転んで怪我をした…
人から嫌なことを言われて気持ちが落ち込んだ…
人と関わるのが苦痛…
辛い別れをした…
苦しみが、
お互いに与えられた命を尊厳し感謝に変わるとき
生を受けた意味が大きく変わっていきます
一つ一つその経験がなかったら
目が覚めるということは経験できません
そう考えると何一つ
無駄なことはなく
すべてが私たちの学びに変わっていきます
全ての命は、無量の寿(いのち)です
苦しみが学びになると覚悟をしたら
無量の寿(いのち)の重さに気づくことが出来ると思います
命は、決して私の命ではありません
私のものなど一つとしてありません
思うよにならないからこそ自分と向き合うことで、
自分の生き方を呼び覚まし、
心の充足感が満たされていくその過程の中で、
与えられた命が育てられていくのでしょう
今ある幸せに気付けますように